市民広場に行く途中、文理台公園の脇の歩道にはクスノキの落ち葉がたくさんでした。

たくさんの落ち葉が重なり合って見える様子に保育者は立ち止まりました。
毎年、同じ場所で同じような様子が見られ、同じように立ち止まります。

拾った葉っぱの色について話し出す子ども、落ち葉を両手にたくさん集めては植え込みの端に集めて山にしていく子ども、片手にたくさん拾い集める子ども、足元のたくさんの落ち葉を踏んだり、落ち葉の中に足を潜らせたりする子ども、拾った葉っぱをバナナに見立てて保育者に次々渡す子ども…



自分の好きなようにクスノキの落ち葉に関わっていました。
たくさんの落ち葉を見て「秋みたいだね。」と子どもがつぶやいたので、「そうだよね、秋みたいだね。」と言葉を交わしました。子どもがこう言った前提として、今は秋ではないと分かってる、秋にたくさんの落ち葉を見たり関わったりしたことがある。そして、秋でもないのに落ち葉がたくさんあるなあ、変だなあとも思っていると推測することもできます。(保育者は、この春の落ち葉を「常盤木落葉」ということを知っていますが…。)
自然は変化するもの。それを春、夏、秋、冬と季節として理解したり、暑い寒い、きれい不思議、気持ちが悪い等と感じたりするのは私たち人間。
子どもが自然の中で、感じたままに自分の体を動かしたり自分の言葉で話したりすることから遊びが生まれます。本人以外、見ている人には伝わりにくいものかもしれませんが、私たち保育者は、それをよく見て聞いて(その遊びの意味や子どものことを)理解しようと努めています。子どもが自分でやったほんの小さなことの積み重ねが、一人一人の学び、成長につながっていくと考えているからです。